みる

今日、『目の前の人が「できる人」なのかどうかを見極める、超簡単な方法』という記事が出回っていました。僕はこの人の記事に納得しつつも、なんか違うかなという曖昧な気分。こういうのって相性だったり、タイミングも重要だと思うんですよ、所詮ね。できる/できないで判断してしまうのはちょっと寂しいね。人として。

「みる」ってとても大事です。見る、観る、視る、看る、診る等、微妙に違うものがたくさんあるんだけど、やっぱり微妙に違うわけです。これはよく先輩に言われていました。そして、物事を見たり、考えたりするには「視点」が重要です。その「視点」には二つあって、

  • どこからみるか
  • どこをみるか

と、あります。何をどこからみるかです。これは僕が大好きなデザイナーが言っていた言葉です。この二つのことは常に意識しています。「視点を高く」とよく言われますが、どこからの視点かも非常に重要なわけです。自分が生まれ育った場所から離れると、いろんなバックグラウンドを持つ人に出会えます。海外だと非常に顕著です。観念が違うわけです。日本人が考える「パン」とフランス人が想う「パン」は違うわけです。柔らかくふわっと、モチモチのパンを想像したあなたは、フランス人の大半がイメージするそれとは大分違っていると思われます。でも、その違いって観察しないと発見できないわけです。

観察は経験です。文字で理解することは非常に難しい。視野の広さは経験からしか生まれません。フランス人の「パン」に対するイメージを実感するには、フランスに行って、フランス人を観察し、フランス人と話すしかありません。そこでようやくフランス人は「パンは歯ごたえがないと物足りなく思ってしまう」ということを発見できます。そのフランス人に日本の柔らかい、もっちりパンを薦めることは非常に難しい。日本人に水分多めのベチャッとしたご飯を薦めるのと同じです。僕らにとってやっぱりご飯は米粒が雫のように際立つくらいがちょうどいい。このギャップを埋めることは難しいんです。

何故フランス人は固いパンが好きで、日本人はもっちりパンが好きなんだろうと、紐解くためには、文化や歴史を「勉強」しないといけません。逆に言うとそのコンテクストを抑えると、フランス人に「パン」を売り込みやすくなるわけです。

不思議とフランスやイタリアに住んでいると固いパンが美味しい。帰国した時に柔らかいパンを食べるとちょっと物足りなく感じてしまう自分がいるんです。僕はヨーロッパからパンを見るようになってしまったんだなとその時に実感します。でも、すぐに元通りになれます。「瞬間移動」とでも言いましょうか。この「瞬間移動」を意識しながらできるようになると、日欧の距離はぐっと近づきます。

「人」に対しても同じで、できるorできないを見極めるよりも、その人がどこからどのようにものを見て、何故そうなったかを自分の中で観察して考察できるようになるとコミュニケーションが深まっていくと思います。

まだまだ足りないんだよなぁ。

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