イタリア人の「好き」はしょうがないんです

よく日本人が「イタリア人が考えていることがよくわからない」、逆にイタリア人が「日本人考えていることがさっぱりわからない」と、よく(愚痴を)聞きます。とりあえずどちらに対しても「そうだよね、異文化って理解しづらいよね」と答えます。そりゃロジック(論理の組み立て方)が違うから、どうやっても分かり合えるはずがない。よく聞く事例は、日本人は予定通りにしか進められない、イタリア人は直前まで何も決まらないなどです。イタリア人的には状況は刻一刻と変化するんだから、ゴールがざっくり決まっていれば、フレキシブルに対応した方がいいよねって感じ。それを理解できず許せない人は多いようです。逆にイタリア人にも「もう二度と日本人とは働きたくない」って、言われたこともあります 笑

こういうのはお互い様です。どちらが正しいも間違いもありません。それを理解するのは異文化で3年くらい生活しないと無理だと思います。ただ「違う」ということは予め知っておいて損はない。それを納得できる例として、以下のTEDはめっちゃ面白い。

アメリカの大学教授でベラルーシ生まれのトークです。1976年生まれとは思えない美貌。日本であればは〇〇過ぎるなんちゃらってなりそうですね。彼女の研究は「言語はどのように思考に影響を与えるのか」ということ。ここで例として出てくるのは「左右」の概念がなく、「全て東西南北」で表す言語。「東の手」はクルッと反転すると「西の手」になるわけです。常に頭の中に方角が入ってます。きっと道に迷うことが少ない人種だと思われます。

最後に出てくる例は、美術館で男の人が屈んだ時に、意図せずにお尻で壺を落としてしまうシーン。英語では「He broke the base.」でも、スペイン語では「壺が壊れた。」英語では主語「誰が壊した」かを大事にし、スペイン語ではそこに意図がなければ「壺が壊れた」という表現をします。当然、イタリア語も似ているわけですが、この「意図」という観点に注目すると他の例も出てくる。例えば英語で「I like it.」、イタリア語では「Mi piace.」、スペイン語では「Me gusta.」、フランス語では「Ça me plaît.」です。英語以外は分の構造は同じで、主語があったり無かったりしますが、「それ(it)が、私に好きにさせた」と表現します。

つまりラテン人にとって、好きになるというのは内在的なものでなく、外的要因なので、自分ではどうしようもないことなのです。例えばミスが起こったとすると「Mi spiace」という表現があります。構造は上の分と全く同じで、謝ってる場合もなくはないですが、「残念です」みたいな感じになるので、時にめちゃくちゃムカつきます 笑。ちなみに本当に謝るときは別の表現あります。

私「荷物届いてないんだけど、どうなってるの?」

受付「なんかトラックが故障しちゃったらしいのよね、Mi spiace(残念だわ)」

こんな対応はザラです。日本人はならイラっとくるはず 笑 まあこれも言語の構造が思考に影響を与えていると考えれば、乗り越えられるかもしれません。

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