この世に静かに暮らせる地はあるのか?

今週はいよいよチャンピオンズリーグファイナルですね。2年前と同じマドリーダービー。前回の時はbarで知らないおばちゃんと無理やりなスペイン語で盛り上がってました。ただアトレチコファンだったので最後は意気消沈でしたが、あの試合には感動覚えましたね。最後の最後は1億ユーロで移籍したベイルの決勝ゴール。これぞ資本主義か?!という試合でした。さて今年はどうなるでしょうか。サンシーロ行きたかった…泣

下り坂をそろそろと下る」(平田オリザ著)という本を読みました。日本の現状を独自の視点で見つめ、日本という国がどのような立ち位置であるべきかということを考えさせられます。レビューを読むと「前向きになれる」など、ポジティブな意見が見られますね。僕は危機感で一杯になりました。是非読んでもらいたい。そして、危機を感じてもらいたい。

昨今、市川市の保育園建設反対のニュースが賑わせました。「子どもの声がうるさい」「道幅が狭い」などだそうです。道幅が狭ければ車は最初からゆっくり走ります。そして、子どもは飛び出す時は飛び出します。ちなみに僕は3歳の時に道に飛び出して、トラックと正面衝突しました。徐行で走ってくれていたトラックの運転手に感謝です。僕が悟空だったら大人しくなっていたでしょうが、あまり変わりませんでした。残念。

ちなみにミラノでは夜中になると交差点の信号が消えます。正確には黄色が点滅しているのですが、要するに「適当に渡ってね。」ということです。昼間なかなかのスピードで突っ込んでくる車もそこに来ると自動的に徐行になります。暗いし当たり前ですね。最初から危ないと分かっていたら、それなりに注意するんです、「人間」いうものは。だから「道幅が狭いと危ない」理論は正直よく分からない。どれだけいの通行量があるのかは知らないけれども。

そして、「子供の声がうるさい」って、どうしようもないですよね。これは騒音の対象外とするしかない。そもそもこれを言えない自治体?法律?、早く整備すべきですね。これはモンスターの域。どうやら老人が「静かに暮らす権利」を主張しているようなのですが、こんな権利ってあるのかな?って思ったのが今回のブログのきっかけ。そもそもそんな時代なんてあったの?

この老人たちを考えると戦後辺りまで遡れば十分でしょう。戦後の時代、つまりは昭和初期に生まれた人達、我々のじいちゃん/ばあちゃん世代ですが、兄弟ものすごく多いっす。じいちゃんの兄弟6人とか珍しくない。保育園とかあんまりなくて、そこら中で騒ぎまくってたはず。単純にこの時期から現在にかけて子供の割合が少なくなっているはずなので、むしろ静かになっているんじゃないの?さらに保育園は夕方には閉まるわけで、夜に眠れなくなる騒音はありえない。一人っ子多いから、家の中での兄弟喧嘩も少ないはずだし。昼間働きもせずに何かしているのかな?っていう人が文句を言っているのは明らか。

こういう人達ってまさに先程の本に出てきていた人と直結していると思うんですよね。「日本は先進国で、経済的にも豊かで、治安も良くて、素晴らしい国だ」って。でも、すでにそうじゃないんですよ。その人達の思う「豊かさ」って、高度成長時代にモノを作りまくって、海外に売りまくって得た豊かさですよね。でも、家電は売れない。車だって厳しい、そんな時代なわけです。ASEANの各国は猛烈に成長していて、モノをバンバン作ってるわけですね。かつての日本のように。

少子高齢化が劇的に進んで行く中で、この子供を育て辛い環境は日本の国際競争力をますます弱体化させて行くのは目に見えています。まずは「日本がやばい」という危機感が必要です。「子供は未来」。

写真はいつかミラノ中央駅に置いてあったピアノ。「勝手に弾いていいよ」って、書いてあって道行く人が勝手に弾いています。こういうのもある意味「豊かさ」かなって思います。

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