SMAP、ベッキー問題から見る日本人マインド

さて、SMAP問題で賑わっていますね。イタリア語でもちらっと記事になっているかなと思って、少し探してみたのですが、一件もヒットせず。あの謝罪会見を見ていて、思うことは「気味悪い」ってことだけです。ただでさえあの「謝罪文化」は好きではありません。「責任」の所在と「誰に」対して謝罪しているのかが明確ではないし、テレビの向こう側にいる人は大抵関係ないですから。

あのベッキーの会見も、なんだかなーと。当然良くないことなんだろうけど、本人達の問題で、別に僕らに迷惑がかかってるわけではないので、そもそも説明も謝罪も義務なんてない。ネットとかベッキーを叩いたところでうちら全然関係ないじゃん。ネットで叩いてる人も気持ち悪い。そもそも完璧な人間なんていないし、芸能界で普通の価値観でやってる方が頭おかしいと思うのはおかしいでしょうか?でも、当然のように謝罪会見して、涙を流すまで叩き続ける日本の社会ってなんなんだろう。当人同士で殴り合いでもなんでもやって、内輪で方をつけるべきだと思います。

まあCMやら広告のイメージがあると思うのでスポンサーに迷惑がとかの話はあるかもしれないけど、所詮イメージだからね。そこも当人同士で片付けるべきですね。世間に向けて謝る必要はなく、当人がスポンサーに謝罪して、契約続行やら降板やらもそこで話し合って終わり。

イタリアでもっともスキャンダラスな人間と言えばベルルスコーニです。彼の名前は一般誌からスポーツ紙まで今でも毎日見かけけます。彼も今回のSMAP事件に非常に近いものがあります。権力が強過ぎるんですね。彼は一代でメディア王、そして首相に成り上がりました。ACミランを世界一のチームにしました。まさに天才なんです。眩しく輝く分、その影も一層濃いのではありますが、飛び抜けているイタリアを象徴する一人であることには間違いありません。

イタリアはこの天才的人材を発掘するor育つ環境が充実していると言えます。単純に言うと「やりたいようにできる」。才能ある人が十分に発揮出来る土壌があるということです。でも、日本はないんですね、その土壌が。絶対に育たないと思います。なんででしょうか?

その理由は簡単です。みんながやりたいようにやれる環境。つまり天才以外の凡人orアホな人がやりたい放題やると悲惨な状況になりますね。サッカーでメッシがドリブルすれば芸術ですが、下手な奴まで全員がドリブルしだしたら、もう目も当てられない。。でも、それを受け入れる土壌があるんですね。自分の考えをトライできる。当然、結果が出ないことを続けていくと信頼はなくなります。でも、千人に一人、一万人に一人の天才が生まれるわけです。そのファンタジーは何万人もの雇用を生み出し、世界中が憧れるブランドとなっていくわけです。これはデザイン、ファッション、スポーツ、芸術、食、すべてに言えるわけです。だからイタリアはこれでOkなのです。

しかし、世界は変わりつつあります。いろんな才能が育つ土壌が世界の各地に生まれつつある。すると、イタリアのようなめちゃくちゃで保守的な文化を持つ国よりも、よりスピーディーに動けます。今、優秀な人材が国外に出て行っているのがイタリアの現状であり、課題です。日本と同じですね。

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